本願寺がいつ頃から、どのような経路で「砂糖」を入手できていたのか明らかにするのは難しいですが、石山合戦の頃にはすでに砂糖を入手できていたわけですから15世紀半ば頃からヨーロッパ人が日本へ運び込んだ砂糖ではなく、中国より大陸経由の砂糖であった可能性が高いと考えられます。
本願寺の砂糖は、時の支配者・室町幕府を通じて入手していたとしたら石山合戦に至る大きな要因のひとつであったのかもしれない…歴史を考えるのは非常に奥深いと思います。
本願寺および寺内町の中で、「松風」が誕生する以前は「砂糖」はどのように活用されていたのでしょうか。
「砂糖」の黎明期の用途が西洋と同様だと考えるならば、「薬品」と「装飾品」です。
超高級な万能薬として、そして「装飾品」として、すなわち「御供物」として御仏様にお供えをする。
本願寺の法要儀式の中で、浄土の世界観を表現するために使われていたのでしょう。